ー ドキュメンタリー映画Dr. Balaへの思い ー
今回ドキュメンタリー映画Dr. Balaの監督を務めさせて頂いているコービーシマダと申します。
このドキュメンタリーはDr. Bala(ドクター・バラー)と呼ばれる日本の医師である大村和弘氏の東南アジアで続けてきた国際協力の活動、いわゆる医療ボランティアを通じて、国を越えた人と人とのつながりやそこで繰り広げられる約12年間のドラマを追った話です。
Dr. Balaは自分の夏休みを利用して、年に1週間ほど東南アジアへ行き、医療活動をやるという方法で行なっています。その活動は12年を越え、現地ではその分野では日本人医師としては一番有名な存在になっていると言っても過言ではない状況であるのに、日本でそれを知る人はほとんどいません。何故ならその1週間以外、日本にいる時は普通に一人の医師として仕事をしているからです。
彼は国際協力に情熱を燃やし、地道に続けてきました。最初は右も左もわからぬ様な状態でミャンマー、カンボジア、ラオスなどに一人で乗り込み、人とのつながりを大切にしながら自分の道を切り拓いていきました。
彼が望むのは”現地の医師が自国の患者を治療できる様に彼ら、彼女らに技術と誇りを手渡す”こと。
話の核となるのは国際協力なのですが、年に1週間自分が情熱を注ぐことをやり続けることで国を越えて人生の豊かさを創り出している彼の姿から人生で一番大切なものは何かを考えるキッカケになってくれればという気持ちがあります。
Balaとは?
Bala(バラー)とはビルマ(ミャンマー)語で「力もち」を意味します。彼の東南アジアで の活動は2007年に訪れたミャンマーから始まります。映画の中でも出てきますが、彼はそこでバラーと呼ばれていました。このドキュメンタリーの中でDr. Balaは色々な「力」を発揮していきます。私自身もその力に感心しながら撮影を続けてきましたが、この映画を進めるにつれ、それは誰にでもその「力」は潜んでいて、誰にでもDr. Balaになりうる「力」があるのではないかという気持ちが湧いてきました。医療従事者でなかったり、ボランティアに特に興味がない人でもそれぞれその人には「力」があり、それを発揮することで人と繋がることができる、あるいは人生を豊かなものにできると考えます。自分にとってそれは映像であり、今回このドキュメンタリーを世に出すことで人と繋がったり、誰かに豊かに生きるヒントを考えてもらえればと願っています。
現地の状況
この映画の舞台となるカンボジア、ラオス、ミャンマー、タイにはそれまで自分自身行ったことがなく、医療の状況はもちろん実際の経済や生活がどのようになっているかはテレビで観た情報や人から聞いたことを元にした何となくのイメージしか持っていませんでした。それぞれの国がどこに位置するかもよくわかっていない状況でした。実際に行ってみると「人があったかい」というのが第一印象でした。そこで会った現地の人はいつもにこやかで、そしてとても家族を大切にしているということが伝わってきました。病院では家族揃って入院し、廊下で一緒に寝ている人もたくさんいました。街にあるカフェに入ると幼い子供達が注文を取りにきたりと家族で一緒に生活しながら、仕事をしている風景もよく見かけました。手術の妨げになりかねない医師でない人、手術中撮影をする私のような人を現地の人たちは当たり前のように暖かく受け入れてくれました。
ボランティアのイメージ
自分自身、医療のことやボランティアのことにそれほど詳しくもなく、カメラで追っていても最初は今どういうことが起こっているのかを把握するのに時間がかかるような状況でしたが、長く関わっていくにつれ、Dr. Balaの行動一つ一つがそれぞれ意味をなして繋がっていく様子が少しずつ見えてきました。
10年以上彼の活動の様子を追っかけてきて、これからも続く活動であることはわかっており、どこで一つの区切りをつけるかがなかなか決まらない時期もありました。そんな最中2018年に、彼から「ミャンマーに行くことなりましたが、コービーさんもどうですか?」というお誘いを受け、直感的にここで第1章が終わると思いました。そこで2007年〜2019年までの撮影素材を一つにまとめ、今回のドキュメンタリーを完成させることにしました。2019年にミャンマーに自分自身は初めて行ったのですが、今まで行った東南アジアとはまた違った魅力がありました。それというのはすごく抽象的ですが”みんな幸せが滲み出ていて、訪れた自分たちも幸せを感じられる場所”だということです。その思いがあったからこそ、まさかその数年後にクーデターが起こり、国民みんな の生活が一変してしまうとは夢にも思わなかったです。そしてこのドキュメンタリーを通してミャンマーの人たちがみんなと繋がっていることを再認識して、元気づけることができればと切に願っています。
ボランティアというと”誰かを助ける”というイメージを抱く人が多い気がしています。そういう自分自身もそのようにイメージしていました。でもボランティアという英語を日本語に訳すと”自発的”という意味になることを思い出し、撮影を通じてそのことをとても強く感じました。
この映画の中でDr. Balaの仲間が増えてきて、日本から他のお医者さんや看護師さんもボランティアをしに来るようになるのですが、みんな楽しそうなんです。食べ物が合わなくてお腹を壊した人も結構いたりするのですが、また次の年も参加して同じようにお腹を壊したりしてるのに楽しそうなんです。なんでかなぁ、と思って見ていたんですが、それは、自分がやりたいと思って自発的に来てるからなんだ、と撮影をしていて感じました。
今回の話はお医者さんの話ですが、医療関係者でなくてもどれだけ自発的なものを見つけられるかでこういった力を生み出せるのではないかと感じました。
自分自身は医者ではないので、人の命を直接救うことはできないですが、映画をやりたいのはスーパーマンやジャッキーチェンの映画を観た後、映画館からの帰りに自分が少し強くなった気がするそういった感覚が好きだからです。この「Dr. Bala」を通して何か自分もやろうと思ってくれたり、何か自分でやりたい人、やろうとしている人の背中を少しでも押す手伝いができればこのドキュメンタリーが世に出る意味があるのではないかと思っています。
大村和弘医師(Dr. Bala)よりあいさつ
この度、ドキュメンタリー映画の中でのDr.Balaこと大村和弘です。
私は、東京慈恵会医科大学医学部医学科を卒業後、総合病院国保旭中央病院で初期研修および、後期レジデント研修を一年行いました。本当に些細なきっかけから、JAPAN HEARTを通じてミャンマーをはじめとしたアジアでの医療に携わることになります。
JAPAN HEARTでの国際医療ボランティアの中で、僕の人生の目標であるひとつの思いにぶつかります。その思いを実現するべく2012年からは耳鼻咽喉科医師としてアジアで活動を続けています。
決して平坦な道ではなかったけれど、私の12年間の活動がこの度KOBY監督チームによって、映画にしていただきました。KOBY監督とは、後期レジデント研修中のUCLAへの留学の際に、ロサンゼルスの日本人ラグビーチームで出会いました。2006年のことです。
12年間、私と同じ国際医療ボランティア活動として、お住まいのアメリカから、腕が千切れそうになるほどの重い撮影機材を一人で何十時間もかけてアジア各国まで手弁当で動画を記録し続けてくださいました。そんな監督の思いも存分に詰まっている作品だと思います。
この12年で技術共有をさせてもらった各国の医師たちは驚くほど成長し、彼らの国を耳鼻咽喉科医師として守っています。私自身も内視鏡を使って鼻副鼻腔の腫瘍を切除する件数は日本で一番となり、世界に発表した私の考案した新規術式は10個となりました。
ちょっとした行動を起こす勇気やきっかけが自分の人生を大きく変える。そんなちょっとの勇気の積み重ねの力をこの作品を通じて皆様に感じてもらい、皆様の日常に少しの勇気を与えることができる、そんな作品になりますよう。
医師 大村 和弘(Dr. Bala)
東京生まれ
2004年3月 東京慈恵会医科大学卒業
2007年5月 ジャパンハート (国際医療ボランティア団体)に参加。ミャンマーにて医療活動
2007年11月~2009年3月 東南アジア各地で医療ボランティア (ミャンマー、ネパール、カンボジア、タイ)
2009年4月 東京慈恵会医科大学耳鼻咽喉科入局
2009年~ 東南アジアへ夏休みなどを利用し医療協力
2013年~ カンボジア、ラオスへ手術教育(約1週間)
2018年11月 韓国にてASIA文化経済振興大賞国際交流賞受賞
2021年 東京慈恵会医科大学 耳鼻咽喉科教室 講師
2021年 日本鼻科学会賞受賞 (10種類以上のオリジナルの術式を開発し、鼻科学発展に貢献)
監督/撮影/編集 Koby Shimada
福岡生まれ
1999年 東京からロサンゼルスへ移住し、俳優として映画と関わり始める。ラストサムライ、スパイダーマン2、インセプションなどに出演するも友人と自主映画を制作し、作る側の面 白さに魅了され、カメラ、音声、照明としてスタッフとして多数の学生映画、インディペンデント映画に参加し経験を積む。
2003年 ビデオプロダクション会社KOBY PICTURESを立ち上げ、監督として映画、CM、プロモーションビデオ、ドキュメンタリーなど数多くの作品を作り続ける。
2002年 映画”BE HONEST”にてインディーズムービーフェスティバルにてセミファイナリスト
2004年 映画”CHIN UP”にてハリウッドスピリチュアルフィルム&エンターテイメントフェスティバルにてセミファイナリストに選出される。
2012年に制作した短編映画 ”Glorious Sound”は真実を元に脚本した作品。1978年に世界で初めて体外受精での出産を成功させ、不妊で悩む人たちに希望を光を与え、その功績が認められ32年後の2010年にノーベル生理学・医学賞を受賞したロバート・エドワード氏に関する映画で当時の本人を知る友人の前でも上映をし、その人たちからも高い評価を得た。
彼のスタイルとしてはコマーシャル、病院のプロモーションビデオ、コーポレートビデオにもオリジナルの脚本を加え、医師として、会社の商品としての思いを物語として表現し、ストーリー性を重視する。
IMDB
音楽 Chad Cannon
2020年アカデミー長編ドキュメンタリー賞作品アメリカン・ファクトリー音楽担当
映画:Hobbit, Guardians of the Galaxy 2, Godzillaなどオーケストラ部分を担当
作曲家・久石穣の編曲&オーケストレーターも務める
音楽 田中カレン / Karen Tanaka
2020年アカデミー賞短編アニメーション部門ノミネート作品 Sister 音楽担当。2012年サンダンス・インスティテュート映画音楽プログラムのフェロー。NHK交響楽団、BBC交響 楽団、英国アーツ・カウンシル、米国芸術基金、ラジオ・フランスをはじめ、国内外の 主要オーケストラ、音楽財団等からの委嘱多数。
映画:That’s My Boy (2020), Sister (2018), Hidden in the Light (2018), The Red Witch (2015), The Light at Walden (2014)等の音楽担当、 BBC制作 Planet Earth II (2016) のオーケストレーション担当
カリフォルニア芸術大学作曲科教授
プロデューサー 馬詰正
神奈川県出身 1999年 TYO入社
2003年プロデューサーとしてのキャリアを開始。外資系クライアントの映像制作を数多く手掛ける。2017年 TYO healthcare立ち上げ
2020年 コロナ下での海外との映像制作をリモートで繋ぎディレクションするプロジェクト
「Remote World」を始める。
Producer 斎藤信子クリアリー
斎藤信子クリアリー氏は1985年に日米のビジネス関係の発展を支援するために国際的企業、クロス・カルチャル・コミュニケーションズを創業し、代表を務める。ノースイースタン大学に留学する以前は日本で歌手やテレビやラジオの司会者として活躍していた。
斎藤氏はノースイースタン大学(NU)より日本人として初の英語学士を修得。
アジアンアメリカンセンター開設当初の寄付者であり、ノースイースタン大学法人会
の役員も務めた。その後サンノゼ州立大学より言語学修士を修得、さらに
スタンフォード大学ビジネス大学院で勉学を続けた。
現在は北カリフォルニアジャパンソサエティ(JSNC)とエンゼルアイランド入国管理ステーション財団(AIISF)の理事会役員を務める。また、Community School of Music and Artsの理事でもあり、CSMAタテウチホールの会長も務めている。斎藤氏は当ホールで日本の伝統文化や音楽を紹介する活動も行っている。
また、斎藤氏はこのほか数多くの非営利団体に貢献。日米をつなぐ市民活動の実績に対し、外務省より2015年に外務大臣賞を受賞している。
斎藤氏は過去、2作品の映画のプロデューサーを務めている。一作目は、歴史学者広島原爆被害にあった12人の米国人捕虜の家族を何十年にもわたり探す活動を行った森氏を追った「ペーパー・ランタン」。国連でこの映画が森氏参加のもと上映された際、講演を行った。
もう一作は「チャレンジド」という知的発達障害のある人たちが音楽を体験する様子を追った映画。彼らは最終的には有名な太鼓演奏団体になり、社会のなかに受け入れられていった。この映画はチャレンジを持つ人たちがそれぞれの可能性を見出すきっかけとなるようなものとなり、シリコンバレー・アジアン・パシフィック・フィルムフェスティバルで国際賞に選出された。
斎藤氏はノースイースタン大学卒業後、数十年にわたって数々の文化や交流プログラムを通してアメリカと日本の架け橋づくりに貢献してきた。映画はその一つの手段であり、教育や文化の理解を促進するよい手法であると信じている。
撮影/Photography 安永ケンタウロス | Kentauros Yasunaga (kKkK inc.)
フィリピン生まれ。 株式会社アマナ入社。2015年、フリーランスとして活動。 2020年、kKkK inc.設立。
広告をメインに雑誌や書籍の撮影も手掛ける。交通広告グランプリ, サインボード優秀作品賞を受賞。日経産業新聞広告賞 情報・エレクトロニクス部門賞。 日経BP広告賞優秀医療広告賞。 毎日広告デザイン賞 優秀賞。 D&AD In Book賞など、受賞多数。
これまで手掛けた作品集に、『デザイン物産展ニッポン』『Sony Design:Making Modern』『GAJOEN』『iro』など。 上質な質感と静謐な世界観が持ち味。 東川と東京で二拠点活動して5年。 コマーシャルの世界で培った技術と感性で新たな世界の捉え方を 自身の展示や広告などで発表。 新たな表現の幅を広げるため8x10での作品制作も開始。
Photography 中村力也
鹿児島県出身。西南学院大学卒業。
ZeppFukuokaで勤務後、上京。
株式会社Azray(amana group)Grip10Ban(10Ban studio)を経て
広告写真家、高柳悟氏に師事したのち、一年間夫婦で世界一周の旅に。
帰国後、2018年東京を拠点に活動を開始。