ドキュメンタリー映画Dr. Bala制作に関して

 
 

↑ 日本語 Top Page

190207_myanmar_724.jpg

ー ドキュメンタリー映画Dr. Balaへの思い ー

 今回ドキュメンタリー映画Dr. Balaの監督を務めさせて頂いているコービーシマダと申します。

 このドキュメンタリーはDr. Bala(ドクター・バラー)と呼ばれる日本の医師である大村和弘氏の東南アジアで続けてきた国際協力の活動、いわゆる医療ボランティアを通じて、国を越えた人と人とのつながりやそこで繰り広げられる約12年間のドラマを追った話です。

 Dr. Balaは自分の夏休みを利用して、年に1週間ほど東南アジアへ行き、医療活動をやるという方法で行なっています。その活動は12年を越え、現地ではその分野では日本人医師としては一番有名な存在になっていると言っても過言ではない状況であるのに、日本でそれを知る人はほとんどいません。何故ならその1週間以外、日本にいる時は普通に一人の医師として仕事をしているからです。

 彼は国際協力に情熱を燃やし、地道に続けてきました。最初は右も左もわからぬ様な状態でミャンマー、カンボジア、ラオスなどに一人で乗り込み、人とのつながりを大切にしながら自分の道を切り拓いていきました。

 彼が望むのは”現地の医師が自国の患者を治療できる様に彼ら、彼女らに技術と誇りを手渡す”こと。

 話の核となるのは国際協力なのですが、年に1週間自分が情熱を注ぐことをやり続けることで国を越えて人生の豊かさを創り出している彼の姿から人生で一番大切なものは何かを考えるキッカケになってくれればという気持ちがあります。


Balaとは?

 Bala(バラー)とはビルマ(ミャンマー)語で「力もち」を意味します。彼の東南アジアで の活動は2007年に訪れたミャンマーから始まります。映画の中でも出てきますが、彼はそこでバラーと呼ばれていました。このドキュメンタリーの中でDr. Balaは色々な「力」を発揮していきます。私自身もその力に感心しながら撮影を続けてきましたが、この映画を進めるにつれ、それは誰にでもその「力」は潜んでいて、誰にでもDr. Balaになりうる「力」があるのではないかという気持ちが湧いてきました。医療従事者でなかったり、ボランティアに特に興味がない人でもそれぞれその人には「力」があり、それを発揮することで人と繋がることができる、あるいは人生を豊かなものにできると考えます。自分にとってそれは映像であり、今回このドキュメンタリーを世に出すことで人と繋がったり、誰かに豊かに生きるヒントを考えてもらえればと願っています。

CIMG5548.JPG

 
DSC_0030.JPG

現地の状況

IMG_8270.JPG

 この映画の舞台となるカンボジア、ラオス、ミャンマー、タイにはそれまで自分自身行ったことがなく、医療の状況はもちろん実際の経済や生活がどのようになっているかはテレビで観た情報や人から聞いたことを元にした何となくのイメージしか持っていませんでした。それぞれの国がどこに位置するかもよくわかっていない状況でした。実際に行ってみると「人があったかい」というのが第一印象でした。そこで会った現地の人はいつもにこやかで、そしてとても家族を大切にしているということが伝わってきました。病院では家族揃って入院し、廊下で一緒に寝ている人もたくさんいました。街にあるカフェに入ると幼い子供達が注文を取りにきたりと家族で一緒に生活しながら、仕事をしている風景もよく見かけました。手術の妨げになりかねない医師でない人、手術中撮影をする私のような人を現地の人たちは当たり前のように暖かく受け入れてくれました。


 
C_B01002.JPG
 
190318_cambodia_577.jpg

ボランティアのイメージ

 自分自身、医療のことやボランティアのことにそれほど詳しくもなく、カメラで追っていても最初は今どういうことが起こっているのかを把握するのに時間がかかるような状況でしたが、長く関わっていくにつれ、Dr. Balaの行動一つ一つがそれぞれ意味をなして繋がっていく様子が少しずつ見えてきました。

 10年以上彼の活動の様子を追っかけてきて、これからも続く活動であることはわかっており、どこで一つの区切りをつけるかがなかなか決まらない時期もありました。そんな最中2018年に、彼から「ミャンマーに行くことなりましたが、コービーさんもどうですか?」というお誘いを受け、直感的にここで第1章が終わると思いました。そこで2007年〜2019年までの撮影素材を一つにまとめ、今回のドキュメンタリーを完成させることにしました。2019年にミャンマーに自分自身は初めて行ったのですが、今まで行った東南アジアとはまた違った魅力がありました。それというのはすごく抽象的ですが”みんな幸せが滲み出ていて、訪れた自分たちも幸せを感じられる場所”だということです。その思いがあったからこそ、まさかその数年後にクーデターが起こり、国民みんな の生活が一変してしまうとは夢にも思わなかったです。そしてこのドキュメンタリーを通してミャンマーの人たちがみんなと繋がっていることを再認識して、元気づけることができればと切に願っています。

 ボランティアというと”誰かを助ける”というイメージを抱く人が多い気がしています。そういう自分自身もそのようにイメージしていました。でもボランティアという英語を日本語に訳すと”自発的”という意味になることを思い出し、撮影を通じてそのことをとても強く感じました。

 この映画の中でDr. Balaの仲間が増えてきて、日本から他のお医者さんや看護師さんもボランティアをしに来るようになるのですが、みんな楽しそうなんです。食べ物が合わなくてお腹を壊した人も結構いたりするのですが、また次の年も参加して同じようにお腹を壊したりしてるのに楽しそうなんです。なんでかなぁ、と思って見ていたんですが、それは、自分がやりたいと思って自発的に来てるからなんだ、と撮影をしていて感じました。 

 今回の話はお医者さんの話ですが、医療関係者でなくてもどれだけ自発的なものを見つけられるかでこういった力を生み出せるのではないかと感じました。

 自分自身は医者ではないので、人の命を直接救うことはできないですが、映画をやりたいのはスーパーマンやジャッキーチェンの映画を観た後、映画館からの帰りに自分が少し強くなった気がするそういった感覚が好きだからです。この「Dr. Bala」を通して何か自分もやろうと思ってくれたり、何か自分でやりたい人、やろうとしている人の背中を少しでも押す手伝いができればこのドキュメンタリーが世に出る意味があるのではないかと思っています。

 
DSC00193.JPG
 
190207_myanmar_1608.jpg
 

大村和弘医師(Dr. Bala)よりあいさつ

この度、ドキュメンタリー映画の中でのDr.Balaこと大村和弘です。

私は、東京慈恵会医科大学医学部医学科を卒業後、総合病院国保旭中央病院で初期研修および、後期レジデント研修を一年行いました。本当に些細なきっかけから、JAPAN HEARTを通じてミャンマーをはじめとしたアジアでの医療に携わることになります。

JAPAN HEARTでの国際医療ボランティアの中で、僕の人生の目標であるひとつの思いにぶつかります。その思いを実現するべく2012年からは耳鼻咽喉科医師としてアジアで活動を続けています。

決して平坦な道ではなかったけれど、私の12年間の活動がこの度KOBY監督チームによって、映画にしていただきました。KOBY監督とは、後期レジデント研修中のUCLAへの留学の際に、ロサンゼルスの日本人ラグビーチームで出会いました。2006年のことです。

12年間、私と同じ国際医療ボランティア活動として、お住まいのアメリカから、腕が千切れそうになるほどの重い撮影機材を一人で何十時間もかけてアジア各国まで手弁当で動画を記録し続けてくださいました。そんな監督の思いも存分に詰まっている作品だと思います。

この12年で技術共有をさせてもらった各国の医師たちは驚くほど成長し、彼らの国を耳鼻咽喉科医師として守っています。私自身も内視鏡を使って鼻副鼻腔の腫瘍を切除する件数は日本で一番となり、世界に発表した私の考案した新規術式は10個となりました。

IMG_8515.jpg

ちょっとした行動を起こす勇気やきっかけが自分の人生を大きく変える。そんなちょっとの勇気の積み重ねの力をこの作品を通じて皆様に感じてもらい、皆様の日常に少しの勇気を与えることができる、そんな作品になりますよう。

IMG_8514.jpg